一般財団法人藤原啓記念館について

昭和四十五年に、備前焼の国指定重要無形文化財保持者に認定された藤原啓は、四十歳にして陶芸の道に入った人です。備前焼の中興の租といわれる金重陶陽の志と技法を引きつぎながら、彼とは対照的な素朴で実直な作風で多くの人々から親しまれ愛されてきました。昭和五十一年、喜寿を迎えた藤原啓は備前市から名誉市民の称号をうけました。


この記念すべき年に、長年の夢がようやく実現。財団法人藤原啓記念館が設立され、人間国宝藤原啓の足跡ともいうべき年代毎の代表作品、および彼が影響を受けた古備前を一堂に集めて広く展示・公開し、備前焼の振興と文化の高揚に寄与することとなり現在に至っています。

INFORMATION

藤原啓記念館のみ(東館別館含まれます)・・・・・・・700円

併設する施設/FAN美術館入館料+藤原啓記念館セット料金

大人・・・・・1,200円(藤原啓のお茶碗にて、お抹茶付き)
小中高生 ・・・無料 (お抹茶をご希望の際は、別途料金600円頂きます)
未就学児童・乳児(保護者同伴の場合に限り)無料

※ホームページを見たと受付でお伝え下さいますと、全館観覧1,000円の割引価格でご案内いたします。

開館時間

9:30~17:00(入館は16:00まで)

休館日

休館日  定休日は毎週火曜日です

各種割引

★割引適用を申請するためには公的団体の発行する証明書等が必要になります。

障害者手帳、愛護手帳を持参の方 本人800円(記念館のみ600円)
JAF割引1,000円(記念館のみ600円)    

            市民割引 1,000円(記念館のみ600円)                
            60歳以上1,000円(記念館のみ600円)                 

団体割引(10名以上)900円

*有料入場者が10名以上の場合、観覧料は団体料金となります

駐車場 無料
収容台数:普通乗用車13台(大型バスは入れません)

展示会一覧

土のぬくもり展

藤原啓 年譜

年譜

明治32年1899年0歳岡山県和気郡伊里村穂浪井田村(現備前市穂浪)に藤原伊三郎の三男として生まれる。本名敬二。
大正4年1915年16歳博文館の「文学世界」に投稿して1等賞金を受ける。正宗白鳥徳富蘆花西条八十に憧れて文学の道を志す
大正6年1916年18歳私立閑谷中学校で再度停学となり、四学年修了と共に中退。日生・伊部の小学校代用教員となる
大正8年1919年20歳8月代用教員の職を辞する。神戸の賀川豊彦の元に居候。その後博文館編集部勤務となり上京。
大正10年1921年22歳勤務のかたわら抒情詩社「カナリア」の編集を手伝う。西条八十・岡村二一小野十三郎サトウハチロー赤松月船らを知る。
大正4年1922年23歳不二原啓二のペンネームで詩集『夕べの哀しみ』出版。川端洋画研究所でデッサンを学ぶ。ヨハネ・ケイの洗礼を受けキリスト教を学ぶ。
大正12年1923年24年社会主義に身を投じ、運動にも参加ししばしば拘束される。9月帰郷中に関東大震災発生。蔵書類を焼失する。
大正13年1924年25歳第二詩集『壊滅の都市』を出版。社会運動を断念。
昭和3年1928年29歳詩人・生田春月『ハイネ詩集』翻訳を手伝い新潮社から出版される。先年辞めた博文堂に再就職し『婦人の国』の編集を行う。
昭和5年1930年31歳「新青年」の編集に移る。
昭和6年1931年32歳郷里の穂浪で、赤畠近平の三女かつ代と見合い結婚をする。
昭和7年1932年33歳6月10日長男「雄」誕生。穂浪健児・大村健一のペンネームで文筆を行う。
昭和12年1937年38歳新聞小説を文筆するが、理想とはかけ離れた現状に強度の神経衰弱となる。東京での生活を断念し、郷里岡山県備前市穂浪に引き上げる。
昭和13年1938年39歳精神の病は急速に快方に向かう。正宗白鳥の弟・敦夫から備前焼を勧められる。陶工「三村梅景」の手ほどきを受ける。三村の為に窯を築く。
昭和14年1939年40歳春・初窯。結果は全滅。その後秋と翌年春秋にも窯を焚くが全滅。5月30日次男「恭助」誕生。金重陶陽の指導を受ける。
昭和17年1942年43歳備前焼研究家・桂又三郎の斡旋で第1回の個展を岡山市の「禁酒会館」で開催。金重陶陽備前焼の丸技作家(伝統技術保存資格者)資格。
昭和18年1943年44歳現山陽新聞社長・橋本富三郎が「雁(かりがね)」の窯印を授けられる。
昭和23年1948年49歳山本陶秀と共に丸技作家(伝統技術保存資格者)の資格を受ける。
昭和24年1949年50歳岡山県文化連盟賞受賞。屋敷内に自分の窯を築く。
昭和28年1953年54歳東京日本橋の壺中居で初の東京での個展開催。
昭和29年1954年55歳春・北大路魯山人の斡旋で東京日本橋の高島屋で個展。
昭和30年1955年56歳東京日本橋の三越で個展。岡山市の天満屋でもこの年から隔年ごとに個展を開くようになる。長男「雄」備前焼に取り組み始める。
昭和31年1956年57歳第三回日本伝統工芸展に「備前平水指」出品。日本工芸会正会員に。金重陶陽人間国宝指定。「藤原建」独立して窯を築く。(藤原啓の初弟子)
昭和32年1957年58歳岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。第四回日本伝統工芸展に「備前壺」出品。
昭和33年1958年59歳日本工芸会理事に推挙される。
昭和37年1962年63歳プラハとジュネーブの国際陶磁アカデミー会議に出席。プラハ国際陶芸展で金賞受賞。藤原建・日本陶磁協会賞受賞。
昭和38年1963年64歳山陽新聞社より山陽新聞賞受賞。岡山県文化賞受賞。中国新聞より中国文化賞受賞。
昭和42年1967年68歳長男「藤原雄」独立。窯を築く。11月金重陶陽没(72歳)
昭和43年1968年69歳東京日本橋三越で古希記念展。年末宮内庁より、皇居・新宮殿に納める壺の制作依頼受ける。
昭和44年1969年70歳3月・新宮殿に「擂座壺1対」を納める。岡山市天満屋にて「藤原啓回顧展」開催。
昭和45年1970年71歳4月・文化財保護委員会から「備前焼」の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定される。7月豪雨により井田村の工房と家が崩れる。
昭和46年1971年72歳春に3863番地に新居を建てる。
昭和47年1972年73歳勲四等旭日章受賞。第19回日本伝統工芸展の監査員となる。
昭和48年1973年74歳岡山高島屋で「平櫛田中・藤原啓二人展」を開催。岡山県から三木記念賞受賞。
昭和49年1974年75歳岡山天満屋で「藤原啓喜寿記念展」開催。淡交社から日本のやきものシリーズ『備前』を著わす。
昭和50年1975年76歳「備前水指」と「備前花入」を迎賓館に納める。
昭和51年1976年77歳備前市の名誉市民に推挙される。山陽新聞社主催「藤原啓・藤原雄父子陶芸展」を開催、フランス、スイス、ベルギー3か国7都市の美術館で
「古備前と藤原啓・雄展」を開催。喜寿記念「藤原啓自選展」を東京の日本橋高島屋で開催。岡山の山陽新聞社画廊にて山陽新聞主催「唐津
茶碗・荒川豊蔵・小山富士夫・藤原啓三人展」開催。
昭和52年1977年78歳ブラッセルの「古備前と藤原啓・雄展」の為渡欧。東京高島屋で「ヨーロッパ巡回帰国記念藤原啓・雄展」を開催。同展を岡山天満屋でも開催。
10月21日自宅の敷地内に藤原啓記念館が竣工。
昭和53年1978年79歳春・岡山天満屋にて「藤原啓一門展」を開催。10月藤原啓旧宅跡に備前市の有志により、藤原啓の記念碑が建立。
昭和54年1979年80歳1月傘寿記念展を岡山天満屋・姫路山陽・東京高島屋で開催。
昭和56年1981年82歳1月から3月にかけ東京高島屋、大阪高島屋、姫路山陽、広島天満屋で朝日新聞社主催により「藤原啓のすべて展」を開催。
10月、朝日新聞社から「藤原啓自選作品集」を出版。11月、高畑浅次郎、土光敏夫とともに岡山県で初めての名誉県民に選ばれる。
昭和57年1982年83歳9月から10月にかけて、日本経済新聞文化欄に「私の履歴書」を連載。右足手術のため、岡山大学付属病院に入院。四月、岡山天満屋で山陽新聞社主催
「藤原啓の世界展」を開催。10月から11月にかけて、記念館で、開催五周年記念「藤原啓の交友展」を開催。
昭和58年1983年84歳11月12日、肝臓ガンのため、岡山大学付属病院で死去。同日、勲三等瑞宝章を受ける。
11月26日、告別式が備前市民葬として備前市市民センターで行われる。
この年譜は昭和54年7月20日発行「人間国宝シリーズ3 藤原啓」講談社/村山武:著 及び藤原啓記念館編の年譜を元に作成しました。

作品ギャラリー

備前扁壺 
高さ32.7㎝/径23.1㎝ 昭和49年
備前大徳利 
高さ30㎝/径19.2㎝ 昭和40年代
備前擂座壺 
高さ30㎝/径24㎝  昭和43年
   備前窯変          高さ12.6㎝    昭和50年

INFORMATION

  • Virtual MUSEUM開設しました。
    自宅にいながら、藤原啓記念館の作品鑑賞をしていただくために、展示会風景や作品を紹介する専用ホームページ「V(バーチャル)美術館」を開設しました。 コロナ禍での外出自粛、さまざまな要因で当美術館に足を運べない方に是非ご覧い […]
  • ホームページをオープンしました。
    ホームページをオープンしました。

ACCESS

一般財団法人藤原啓記念館

住所 : 〒705-0033  岡山県備前市穂浪3868

開館時間 : 9:30~17:00(入館は16:00まで)

休館日 : 定休日は毎週火曜日です